学振PDでも若手Bなどの科研費に応募できるらしい

考えがある程度まとまったものからブログ記事にしていこうかと考えていたが、それでは大分間が空いてしまうし、日常の研究の記録的なこともしたくなってきたので大して面白くない内容でもバンバン書くことにした。というわけで今日やったこと。

 

1)まず1番誰かのに役立つと思われることから。来年度の科研費の申請をした。科研費とはかなり大雑把にいうと国からもらえる研究費のことで、大体このくらいの時期に「私は来年からこれこれこういう研究をするので、このくらいお金をください」という申請をする。もちろんどれくらいの予算規模か等によっていくつかの種類があり、申請が通るかどうかの難易度も様々である。さて、現在私の身分は学振特別研究員という大学からすると居候的な存在である。教員でもないし、大学から給与を得ているわけでもない。これとどれほど関係するのかはわからないが、数年前までこの身分だと科研費に応募できないという制約があった。特別研究員採用期間中では、それ専用の科研費が年間100万ほど割り当てられるので他の科研費に応募する必要はないのだが、問題は最終年度である。来年度から他の所属に変わるということは、今その時のための科研費に応募しなければならないが、それが禁じられていると非常に困る。恐らくこうした事情から、条件が緩和されたのである。

 やり方は大学や部局によって異なるだろうが、いずれにしても科研費の担当をしている事務の方にコンタクトをとることになると思われる。手続きとしては、居候の特別研究員に研究者番号(科研費に応募するのに必要なもの)を割り当てる申請をまず行う。これが通れば(余程のことがなければ普通に通るものだと理解している)通常と同じように科研費の申請ができるそうだ。

 来年度から違う大学で働くことになったらどうなるのか?それは心配せずとも大丈夫で、新しい大学に移管する手続きを行うことができるらしい。

 

 というわけでこれから3週間くらいで研究計画を準備しないといけない。

 

2)某学会の入会届を出しに行った。現金書留で入会金を支払う必要があるらしく少し面倒である。

 

3)先日、軽い研究の雑談から共同研究になった話があり、その方針などについて共同研究者と幾つかメールでやり取り。最終結果はまだ何も出てないけど、それなりにわかりやすくていい結果が出そうではある。

 

4)数日前にエディターキックを食らった論文を他の雑誌に投稿するべく、細かいところの調整。カバーレターに書く情報や、いろいろなregulationが雑誌によってことなるのでただ単純に修正するだけといっても結構な仕事になる。結局夜の作業時間が全てこれに吸われたといっても過言ではない。

 

5)そういえば机を片付けた。研究室の机は結構大きいのでついコーヒーを淹れるための道具とか研究に直接使わないものを置いてしまう。ついでにもう使わないのに置きっぱなしにしていた論文なども整理し、大分すっきりした。

 

6)プールで泳ぐ、という習慣を再開した。(本当に再開できたかどうかは後の検証を待ちたい)やはり、定期的に体を動かさないと全身が凝る。以前は全く想像がつかなかったのだが、座りっぱなしだと上半身だけではなく脚も凝るらしい。

 

7)最近すこし考えるところあって読んでいる法哲学の本を少し進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

複雑システムを数理モデルで"理解する"ときに気を付けたいこと

 数理モデル(主に数式を用いて、対象とするものを表現すること)は経済学や物理学、工学や数学といった様々な研究分野で利用される、重要な道具である(ウィキペディアにも色々な例が述べられている)。しかし一方で、それにとらわれるあまり、そもそもの目的を見失った怪しげな研究が跋扈しているのも事実である。特に、広い意味で私の研究もカテゴライズされる社会物理学の分野では容易に怪しい研究が量産されやすい事情もあり(【物理学 Advent Calendar】物理学の人が社会シミュレーションを手がけるときに気をつけてほしいこと - 歩いたら休め でも議論されている)、ここで私の数理モデルに対する基本的な考え方について述べたいと思う。具体的な対象としては複雑システム(例えば、金融、交通流、群集挙動、などモデル化の手法が完全には確立していないもの)に関する話のつもりで述べる。

 

なぜ数理モデルを作るのか?

 我々の身の回りには、さまざまな一見してどのようにして起こるのかわからない不思議な現象があふれている。こうした現象を理解するため、その対象を数理モデルで表現する。問題を数学の範囲に落とし込めば、これまで人類が積み重ねてきた偉大な数学の蓄積の恩恵に与かることができる。具体的に言えば、数式を通して問題の構造がより見えやすくなるのである。また一方で、単純化により問題を考えやすくするという利点もある。モデル化の際には理論的に扱いやすいようにするため、問題の本質と関係ないと思われる部分(これには研究者の主観が大きく影響する)を削ぎ落し、対象とするシステムの骨子だけ残して表現する。これにより、無視した他の要素がモデルにおける結果に影響する可能性を排することができるのである。

 このように、数理モデルは(本来は)現象を理解(予言)するため(だけ)に導入されるものであり、それ以外の理由(ただ面白いからとか、綺麗に解けるからとか)で作った数理モデル数理モデルではありえない。ただし、数学や理論物理などの分野で(当初は正当な数理モデルとして提案された)モデル自体に数理的な面白さや深みがあり、現象の記述とは別に独自の発展を遂げたものもあり、それらについて価値を否定するものではない。また、多数の変数を含む形で到底現象の「理解」には役に立たなそうなモデルを使って、コンピュータシミュレーションの力を借りることで現実を忠実に再現しようとする方向性もあるが、今回述べる「数理モデル」とは別のものということにさせてもらう。

 

単純化と現象の説明能力

 「現象を正しく説明出来るのであれば、モデルは単純であるほど良い」、というのは基本的な考え方だとしても良いと思う。普通、モデルが単純になると現象の記述が粗くなり、たとえば実システムとの定量的な一致は望めなくなる。その場合は定性的な振る舞いや、分布のべき指数くらいの「ざっくりした振る舞い」を記述することが目的となるべきである。逆にモデルが複雑になると、定量的な振る舞いなどの「細かい振る舞い」も合わせられるようになってくる。

 

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複雑なモデルを選択するのであれば、単純なモデルでは不可能な程の、高い現象の説明能力が要求される。なぜなら、モデルに対する解析や理解が難しくなるのにわざわざ複雑なモデルを選択する合理的理由がないからである。逆に粗いモデルなのに、結果を高い精度で(例えば定量的に)表現出来すぎている場合、それが偶々フィッティングできただけではないかはチェックしたほうが良い。(もちろん、現象の普遍性を捉えた極めて素晴らしいモデルかもしれない。)

 

数理モデルによる結果の説得力

 数理モデルを使った研究の結果、晴れて現象の説明(あるいは予言)に成功したとしよう。それは本当に現象の本質を説明しているといえるのだろうか?残念ながらこれを証明する手段はない。モデル化の際に不可避の単純化によって現象の本質がゆがめられたり、無視した効果のほうが重要であるという可能性があるからである。もちろん、いくつかのモデルの(軽微な)バリエーションによる結果も添付して結果のロバスト性について補強することはできるが(そのような「チェック」を論文の末尾に添付する場合も良くある)この問題を完全に解決することにはならない。結局、モデル化の妥当性を読む人が判断して評価するしかないのである。この部分が数理モデルによる研究で一番頻繁に議論になるところといっても差し支えないだろう。

 このような事情から、得られた結果については、まずモデルの前提と説明した現象がどのように対応づいているかを明らかにすることが重要である。これにより、現実のシステムが前提としてそのような要素を持っている場合、(他の要素によってかき消されるかもしれないが)少なくとも説明したメカニズムがその現象に寄与しうると主張しやすくなる。加えて前提条件として仮定した部分が揺らいだ時に結果にどう影響するかも議論することで、意味のある研究として認められることが多い。